八岐大蛇

さて、ではこの項ではスサノヲが退治したといわれている伝説の蛇『八岐大蛇』についての考察に移る。

八岐大蛇というこの表記は日本書紀でのものになり、古事記では『八俣遠呂智』と表記している。筆者は前者を使いたいので、了承してもらいたい。

『ヤマタノオロチ』という名称の意味は諸説あり、『オロチ』の意味としては、「お」は峰、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力、または霊力あるものとする説もあるが、蛇の古語である「ミヅチ」ヤマカガシを古来「ヤマカガチ」と呼ぶなどのように、「ち」とは蛇を意味とする説もある。本来は山神、または水神であり、八岐大蛇を祀る民間信仰もある。

高天原を追放されたスサノヲがクシナダヒメを妻として迎える条件として倒すことになる大蛇。だが正面から向かっては勝てないことはスサノヲも了承しており、何か策はないかと考えているといい案をひらめく。

アシナヅチとテナヅチに、七回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、8つの門を作り、それぞれに酒を満たした酒樽を置く様にいった。

酒の準備をして舞っていると、八岐大蛇がやってきて、8つの頭をそれぞれの酒樽に突っ込んで酒を飲みだした。八岐大蛇は酔って寝てしまうと、スサノヲは天羽々斬で切り刻んだ。

この時、尾を切ると剣の刃が欠け、不思議に思ったスサノヲが見てみると、その中から出てきた『草薙剣』をアマテラスに献上した。

ここまでが八岐大蛇の退治までの一旦である。

ヤマタノオロチは出雲の神話に

古事記と日本書紀からみる神話には、動物神が人間神に倒されるというアンドロメダ型神話に代表される類型が見られる。

八岐大蛇について、『洪水の化身』などと解釈されることがあり、オロチは水を支配する竜神を、クシナダヒメは稲田を表すとみなしており、毎年娘をさらうのは河川の氾濫の象徴であり、オロチの退治は治水を表すとしている。また、大蛇が毎年娘を去ったことは、毎年一人の処女が生贄にされたことを表し、治水の成功により、その風習を配したことを表す、などとされている。

『高志之(こしの)』の会社にも諸説あり、例えばこの当時、出雲国は越国との交戦状態にあり、『出雲国風土記』には意宇(オウ)郡母里(モリ)郷の地名説話で『越の八口』の平定の記載があるため、出雲等に、過去に文化的・権力的な関連があったとされることなどが挙げられる。

天叢雲剣は出雲国の古代製鉄文化を象徴する、とする説もある。天叢雲剣は鋼鉄であり、天羽々斬が天叢雲剣に当たって欠けた、ということは、天羽々斬は鋼鉄製であったことを累進させ、当時最先端の技術であった製鋼、またはその技術の結晶・産物である鋼刀を『アマテラスに献上した』というストーリーはそのころの出雲と大和の関係を暗示して興味深いとされている。

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宮中の天叢雲剣はその後、平安時代末期の源平争乱のこと、平家滅亡の際に入水死した安徳天皇と共に失われるが、『平家物語』はこれを八岐大蛇が安徳天皇となって天叢雲剣を取り返しに来たとする。

『大蛇の原が血でただれている』について、砂鉄で川が濁った様子を表すとする説がある。たたら不羈には大量の木炭を必要とするため、上流の木が伐採しつくされた結果、洪水が起きたことを表すともされ、実際に島根県斐伊川流域はたたら吹きによる土砂排出によって天井川となり、度々洪水を起こしている。

洪水後には蛇の鱗を思わせる砂洲が幾条も生じることがあるため、これを大蛇として神格化された、などと説明されている。

また、島根・鳥取県の船通山系を源とする日野川、斐伊川、飯梨川、江の川、伯太川などの川、及びその支流を頭が8つある大蛇に見立てたとする説もあり、これらの河川を一部の研究者は『大蛇河川群』と呼んでいる。

天羽々斬

日本神話に登場する刀剣であり、スサノヲが八岐大蛇を退治した剣といわれている。別名『布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)』、また『蛇之麁正(おろちのあらまさ)』とも呼ばれている。

八岐大蛇の尾を切ったときに剣の刃が欠けたので、尾を裂いてみると剣が出てきた。これは不思議なものだと思い、アマテラスにこの大刀を献上した。

これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)とされている。

また、この剣で大蛇を斬ったことから、この剣を『天羽々斬』と呼ばれた。

この剣で大蛇を切ったことから、この剣を『天羽々斬』と呼ばれた。『羽々』とは大蛇の意味であり、大蛇を切った剣、ということになる。

その後、この剣は石上布都魂神社に祭られ、崇神天皇の代に石上神宮に移されたとされる。

現在、石上神宮では天羽々斬剣とされる鉄刀が、布都御魂剣とともに本殿内陣に奉安され祭られている。これは明治11年(1878年)の石上神宮の社殿建造のための禁足地発掘の際、出土した全長120cm位の片刃の刀である。

本殿内陣には布都御魂剣とこの片刃鉄刀の他に、同じ明治11年の発掘で出土した全長60cm位の両刃の鉄剣も奉安され祭られているが、片刃鉄刀の方を天羽々斬剣としている。

天叢雲剣

三種の神器の一つであり、スサノヲが八岐大蛇の尻尾の中見つけてアマテラスに献上した剣。その後剣は天孫降臨の際にニニギ尊に手渡される。

ニニギ尊が所有して行こう、皇居内にアマテラスの神体とされる八咫鏡と共に祀られていたが、崇神天皇の時代に皇女・豊鍬入姫命により八咫鏡とともに皇居の外に祭るようになったが、『古語拾遺』によるとこの時、形代の剣が作られ、宮中に残された。

その後は様々な人間の手の下に渡ることになる。

天叢雲剣の名前の由来は諸説あるが、実際には何が正しいものかというのははっきりしていない。剣は『草薙剣』・『都牟刈大刀(つむがりのたち)』・『八重垣剣(やえがきのつるぎ)』・『沓薙剣(くつなぎのけん)』などという、別名がある。

一部名前の由来説として日本書紀から、八岐大蛇の頭上にはいつも雲がかかっていたので『天叢雲剣』と名づけられた。

実際、山陰地方は曇り日が多く、安来地方の山奥、奥出雲町にある船通山山頂には天叢雲剣出顕之地の碑があり、毎年7月28日に船通山記念碑祭・宣揚祭が開催されている。

こじきなども合わせて考えると、本説が最も主流の説となっている。「天叢雲剣」や「叢雲」の名は『日本書紀』において本文の注として記されるのみであり、『古事記』には一切その名は見られていないのである。

また、『天叢雲剣』の名の由来である、『大蛇の上に雲気有り』という表現に関して『史記』や『漢書』からの引用だと説かれていることもある。

余談だが、日本全国には『九頭竜伝承』という神社などが建立することになった伝承が日本各地にある。八岐大蛇だけではなく、様々な九頭竜がいたとされているので、気になった人は探してみるのもいいですよ。