スサノヲ

さて、ここまでは日本神話についての全体的なことに触れてきたが、ここから徐々に焦点を絞っていく。

ここからはスサノヲを中心とした、出雲国の神話を中心的に話を進めていこう。かといって、まずはスサノヲの事、そしてスサノヲが出雲国へと向かうことになったのかまでの経緯が必要になるので、順番に書いていこう。

アマテラス、ツクヨミと三姉弟の末弟として生まれ、海原を統治する神として崇められている。

誕生地としては、父であるイザナギが生まれたとされる神階・正一位の江田神社=宮崎県宮崎市阿波岐原=周辺とされている。アマテラス、ツクヨミも同様の場所で生まれた。

与えられた役割は。太陽を神格化したアマテラス、月を神格化したツクヨミとは少々異なっているため、議論の的となっている。ツクヨミの項でも挙げたが、スサノヲの支配とする領域がツクヨミとする説も多く、二人は同一人物なのではないだろうかとも言われているほどである。

ヤマタノオロチは出雲の神話に

スサノヲの性格は多面的で、母を恋しがり、泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せたり、また出雲国へ降りると一転して貴種流離譚の英雄的な性格となったり、性格としては常に安定していないところが見受けられる。

また日本初の和歌を詠んだり、木の用途を定めたりなど文化英雄的な側面もあったりする。これに関しては多数の神が集合してスサノヲという神格を想像されたためとする説もあるが、彼が成長するにつれて見せる側面であるとする説もある。

神名の『スサ』は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や、『進む』と同根で勢いのままに事を行うの意とする説、また出雲の須佐郷に因むとする説、州砂(=砂鉄)の王という説から、たたら製鉄の盛んであった意宇郡(おうのこおり)の首長とする説など、様々な憶測が立てられている。

出雲と強い結びつきが考えられるスサノヲだが、『出雲国風土記』ではあまり登場せず、八岐大蛇退治の説話は記載されていないという。そのため元々は別の地方の神ではないかと推測する説もある。

しかし基本的には古事記・日本書紀、風土記をそれぞれ見てみるとやはり出雲と深い関係があったといえる神となるのだ。

出雲国東部の奥出雲町にはスサノヲが光臨したといわれる鳥髪峰、それに隣接する安来市は彼が地名をつけたという風土記の記述もあり、これらの地域が古代よりたたら製鉄が盛んであったこともあいまって、ヤマタノオロチ退治は製鉄集団を統治したとの見方や十握の剣が草那芸の大刀に触れたとき折れたとの話より、鋼の発明を象徴している見方も強い。

イナバノシロウサギも神話なんです…。

また比較神話学的に見ると、怪物を倒して哲や県を手にいいれる神話は国家樹立の比喩であるとする見方もあり、スサノヲをアマテラスの弟という重要な神とされている理由についても諸説ある。

後に仏教における祇園精舎の守護者である牛頭天王と習合した。これは、どちらも疫病だからであり、そのため牛頭天王を本地とし、その垂迹とされることもあった。

牛頭天王とスサノヲ、この習合についてだが、新羅に牛頭山という山があり、熱病に効果のあるビャクダンを産したところから、この山の名を冠した神と同一視され、また日本書紀巻第一神代第八段一書に、スサノヲが新羅のソシモリという地に高天原から降臨したとの記述もあるが、『ソシモリ』は『ソシマリ』・『ソモリ』ともいう朝鮮語で、牛頭又は牛首を意味し、韓国には各地に牛頭山という名の山や牛頭の名の付いた島がある由と関連するとしている。

祇園神は鎮祭されたのは、奈良時代以前に遡るとされ、記録の上では詳細不明である。

その後、斉明天皇2年(656年)高句麗の使、伊利之使主(イリシオミ)が来朝したとき新羅国の牛頭山のスサノヲを祭ると伝えられている。伊利之は『新撰姓氏録』山城国諸蕃の八坂造に、意利佐の名がみえ、祇園社付近はもと八坂郷と称した。すなわち、この考えでは、朝鮮半島より渡来した人々が住みついて牛頭天王を祀ったが、日本神話のスサノヲと習合したというものである。

またスサノヲについてオーストリアの民俗学者『アレクサンダー・スラヴィク」は、根之国に追われた後のスサノヲが蓑と笠を着て神々に宿を頼んだことを解釈して、蓑と笠は本来神聖な『祭祀的来訪者』がきることを許され野であり、スサノヲはそのような来訪者として神々に宿を貸すように強制し、客人歓待の慣習を要求したのである、と考えた。

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