大国主の神話

スサノヲとクシナダヒメが結婚し、その後の出雲の話の中で最も有名な神話といえば大国主神(おおくにぬしのかみ)の国づくり神話である。古代出雲の神話の中で、この話を外して進めることは出来ないだろう。

ではまず簡単に大国主がどんな神なのかを見ていこう

大国主神

国づくりの神としてはもちろん、農業・商業・医療の神などとして崇められている点を見るだけで、国を興すのに必要なものを司る神として祀られているのがよく分かる。

縁結びの神としても知られているものの、どうして縁結びの紙とされているのかについて様々な説があり、大国主神が須勢理毘売命(スセリビメノミコト)を始めとする多数の女神と結ばれたことによるとの見方が一般的だが、『祭神が幽世の神事の主催神となられ、人間関係の縁のみならず、この世の一切の縁を統率しているとして、男女の縁のみならず、広く人と人の根本的な縁を結ぶ神であるとの見方もある。

また、『大国』は『ダイコク』と読めることから、同じ音である大黒点と習合して民間信仰に浸透している。子のコトシロヌシがえびすに集合していることから、大黒様とえびすは親子といわれるようになる。

日本書紀本文によるとスサノヲの息子であるとの記述もあり、また古事記や日本書紀の一書、新撰姓氏録によると、スサノヲの六世の孫、また日本書紀の別の一書には七世の孫などとされている。

スサノヲのこの後に須久那美迦微(スクナビコナ)と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医療などの道を教え、葦原中国の国造りを完成させる。だが、高天原からの使者に国譲りを要請し、幽冥界の主、幽事の主催者となり、顕界から姿を隠した。

これはつまり、自害してこの世を去り、国譲りの際に『富足る天の御巣の如き』大きな宮殿を建てて欲しいと条件を出したことに天津神が約束したことにより、この時の名を杵築大神とも言われている。

さらに、この大きな宮殿というのが、出雲でも有名な『出雲大社』の事を指す。

大国主は多妻とも知られており、様々な女神との間に子をもうけていた。その数、実に180柱、日本書紀では少し多い181柱としている。

なぜここまで多くの女神と結ばれているとされているのかなると、別名の多さや妻子の多さは、明らかに大国主が古代において広い地域で信仰されていたこともあり、信仰の広がりと共に各地域で信仰されていた土着の神と統合されたり、あるいは妻と子供に位置づけられたことを意味している。

そんな大国主の妻は古事記と日本書紀の記述の中では以下の女神がいる。

  1. スセリビメ
  2. ヌナガワヒメ(奴奈川姫
  3. ヤガミヒメ
  4. タキリビメ
  5. カムヤタテヒメ
  6. トトリヒメ

神話

次に大国主が出雲で偉大な神として崇拝されるまでにいたる、道筋を辿ってみる。

ヤマタノオロチは出雲の神話に
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八十神の迫害

大国主は古事記の中ではスサノヲの子孫となり、彼の上には兄弟がいた。まだ大国主と言う神名をもらう前は『オオナムヂ』という名前であった。

とあるとき、兄弟神である八十神(ヤソガミ)は因幡国のヤガミヒメに求婚するが、ヤガミ姫はオオナムヂと結婚するといったため、八十神はオオナムヂを恨み、殺すことを決意する。オオナムヂを伯岐国の手前の山麓に連れて行き、『赤い猪がこの山にいる、我々が一斉に追い下ろすから、お前は待ち受けてそれを捕えよ』と命令する。従ったオオナムヂが待ち構えていると、八十神は猪に似た大石を火で焼いて転がり落とし、ぞれを捕らえようとしとオオナムヂは石の火に焼かれて死んでしまう。

オオナムヂの母親の刺国若比売(サシクニワカヒメ)は息子の死を悲しんで高天原に昇り、天地開闢の際に誕生した古き神の一人、神産巣日神(カミムスビ)に救いを求めた。カミムスビが使わしたキサガイヒメと蛤貝比売(ウムギヒメ)の治療によりオオナムヂは生き返る。

オオナムヂの復活を知った八十神は、再度殺害を試みる。大木を切り倒して楔で割れ目を造り、その中にオオナムヂを入らせ、楔を引き抜いて撃ち殺してしまう。母親は泣きながらオオナムヂを探して大木を見つけ、すぐに木を裂いて取り出して生き返らせた。母親は『あなたはここにいたら、八十神に滅ぼされてしまう』といい、木国のオオヤビコのところへ行かせた。

オオヤビコの所へ行くと、必要に追ってきた八十神がオオナムヂを引き渡すようにと迫る。オオヤビコはオオナムヂを木の股を潜り抜けさせて逃がし、スサノヲのいる根の堅州国に向かうようにいった。

迫害というより一方的な虐殺ではないのだろうか、と感じた。大国主は八十神に何度殺されても、八十神と共に行動し、彼の殺意にまるで気づいていないような立ち振る舞いにも見える。これは生き物としての生存本能が極めて低いとしかいえないだろう。

誰しも、一度危険な場所・または危険な行動で自分に被害を加えられたら警戒するものだが、大国主のこの頃はまるでそういった素振りが感じられない、まるで自分を殺してくださいと言っているように思えなくもない。

どうして大国主がここまで殺されでも、すぐに逃げず、母親からの指摘で生まれ故郷を離れるようになるまでにだいぶ間があったのも、やはり兄弟だから信頼していたということなのだろうか。

理由ははっきりとしたことは筆者にはわからないが、ひとまず先に行こうと思う。

イナバノシロウサギも神話なんです…。

根の国訪問

根の国にやってきたオオナムヂは、そこにあったスサノヲの家でスサノヲの娘の須勢理毘売命(スセリビメ)と出会い、2柱は一目惚れした。スセリビメが『とても立派な神が来られました』というので、スサノヲはオオナムヂを呼び入れたが『ただの醜男ではないか。葦原色許男神(アシハラシコヲ)と言った方が良い。蛇の室にでも泊めてやれ』と、蛇がいる室に寝させる。スセリビメは『蛇の比礼(ひれ:女性が、結ばずに首の左右から前に垂らすスカーフの様なもの)』をオオナムヂに授け、蛇が食いつこうとしたら比礼を三度振るように言う。その通りにすると蛇は静まったので、オオナムヂは無事に一晩寝て蛇の室を出られる。

スサノヲは広い野原の中に射込んだ鳴鏑を拾うようにオオナムヂに命じた。オオナムヂが野原に入ると、スサノヲは火を放って野原を焼き囲む。オオナムヂが困っていると鼠が来て『内はほらほら、外はすぶすぶ(穴の内側は広い、穴の入り口はすぼまって狭い)』といった。それを理解したオオナムヂがその場を踏んでみると、地面の中に空いていた穴に落ちて隠れることが出来、火をやり過ごすことが出来た。また、その鼠はスサノヲガ射った鳴鏑を加えて持ってきてくれる。スセリビメはオオナムヂが死んだと思って泣きながら葬式の準備をして、スサノヲ端を確認しようと野原に出てみると、そこには矢を持ったオオナムヂがいたのである。

スサノヲはオオナムヂを家に入れ、頭の虱を取るように言う。ところが、その頭にいたのはムカデであった。オオナムヂはスセリビメから貰った椋の実を噛み砕き、同様に貰った赤土を口に含んで吐き出していると、スサノヲはムカデを噛み砕いているのだと思い、可愛いやつだと思いながら眠りに落ちた。

オオナムヂはこの隙に逃げようと思い、スサノヲの髪を部屋の柱に結び、大きな石で部屋の入り口を塞ぐ。スサノヲの大刀と弓矢、スセリビメの琴を持ち、スセリビメを背負って逃げ出そうとしたとき、琴が木に触れて鳴り響いてしまう。その音でスサノヲは目を覚ましてしまうが、その際に髪が結び付けられていた柱を引き倒してしまう。スサノヲガ柱から髪をとく間に、オオナムヂは逃げることが出来た。

スサノヲは、葦原中津国に通じる黄泉比良坂までオオナムヂを追ったが、そこで止まって逃げるオオナムヂに『お前は持つ大刀と弓矢で従わない八十神を追い払え、そしてお前が大国主、また宇都志国玉神(ウツシクニタマ)になって、スセリビメを妻として立派な宮殿を建てて住め、この野郎』といった。オオナムヂは出雲国へ戻って多く荷主となり、スサノヲから授かった大刀と弓矢を持って、八十神を山坂の裾に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、全て退ける。そしてスセリビメを正妻にして、宇迦の山のふもとの岩の根に宮柱を立て、高天原に届くような立派な千木のある新宮を建てて住み、国造りを始めた。

ここまでの流れとして、何ともつくづく運のない神様だなぁと筆者は思う。八十神からは逆恨みで二度も殺され、さらには逃げようとしても執拗に追ってきて、なおも殺そうとする八十神から逃げ遂せるようにと根の国に向かう。

そこで正妻となるスセリビメと出会うのものの、その父であるスサノヲからは冷遇を受けてしまう。しかしここで気になるのが、スサノヲが大国主が自分の子孫という認識がまるでないということだ。これは単純に、自分の家系図という血族の流れをまるで気にしていないということなのだろうか。

それとも面識そのものがなかったので、自分の子孫と思わなかったというところなのか、詳しくは分からないが、ここでもスサノヲからひどい扱いを受けることにある大国主。

さらには殺されかけるものの、何とか生き延びた大国主はスサノヲが眠っている間にスセリビメと彼女の琴、さらにはスサノヲの大刀と弓矢を盗んでいくという、駆け落ちというよりもう泥棒といってもおかしくない行動で、根の国を後にする。

根の国と地上との黄泉比良坂の入り口で、スサノヲは渋々ながらも娘を嫁がせること、盗まれた剣と弓をそのまま大国主に譲渡するということを認める形で、二人を送り出す姿はやはり父親としての情景が現れている。

何だかんだで二人のことは最後の最後に公認するところはやはり子を持つ親心、といった感じなのだろう。