世界創世記

これを読んでいる方の中に、日本神話を知っている人はどれだけいるでしょうか?日本神話に対して興味を持つということ実は中々ないのではないでしょうか?

今の日本は日本古来の宗教である『神道』を含め、『仏教』・『キリスト教』など様々な宗教を崇拝しているといった方が多いのでは、と筆者は思う。これほどまでに他宗教を受け入れている中で、意外と自分の国に関する神話について知らないという方は少なくないと思います。

これが他の国で考えるとしたら、いったいどうなるでしょうか?どうってことないと思いがちだが、ヨーロッパや中東地域の人々は自らが崇拝している宗教神を信じ、崇めているのが普通なのだ。日本ではどうだろうか?実際にここまで読んでいる人の中で、日本古来から伝わっている歴史書『古事記』、又は『日本書紀』を一度でも熟読したことはあるだろうか?

筆者は神話という話が好きなこともあり、そこまで深くは勉強したわけではないが、ギリシャ神話や北欧神話など、日本でもメジャーな神話を調べては良く感慨深くなったものだ。

そんな中でふと思ったのが、そういえば自分の国の神話についてあまり知らないなぁっと思う日があった。イザナギ・イザナミなど、本当に誰でも知っているようなものなら名前だけなら聞いたことはあったものの、話がわからないということがほとんどだった。

そこからだ、筆者は好奇心を刺激されて、それはもう日本書紀を読んだものだ。なぜか古事記はあまり読まなかったのだが、今でもその理由は良く分からないが、冒頭の神話に当たるところはよく読んでは、色々知ったことも多かった。こんなに色々書かれていたのか、日本の神話というのも奥が深いものだ、遊び心にも似た感情で筆者は読んでは色々考察したものである。

一時期は大学で専門的に勉強したいと思ったが、努力が足らずに夢半ばで辞めてしまったが、それでも日本神話が好きなことには変わらない。

では今回、そんな日本神話の始まり、世界創世記の話から始めていこう。

天地開闢

古事記・日本書紀共に若干の違いがあれど、日本書紀はその誕生の発端が未だに不明な点も多いので、今回は古事記で書かれている神話の話をベースに展開していく。

始まりは世界黎明期ともいえる、まだこの世が形というものがなされていないところから始まる。

ここで古事記と日本書紀の二冊で記述が分かれており、古事記では天地開闢についての記述は書かれておらず、日本書紀では説明が施されている。その日本書紀の中で、世界は混沌とした中で、あるときを境に陰陽は陰と陽の二つに分離したことにより、まず天と地が誕生したといわれている。ギリシャ神話における、『カオス』中から天『ウラノス』、大地『ガイア』が誕生したといわれている記述に良く似ている。

さて、天と地が分かれたことにより、まずその神話の中から三人の神が始めに誕生する。『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』・『高御産巣日神(たかみむすひのかみ)』・『神産巣日神(かみむすひのかみ)』という三神が神々の聖地である高天原で生まれ、その後に『宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)』・『天之常立神(あめのとこたちのかみ)』の二神が誕生する。この五神の神々は『別天津神(ことあまつがみ)』と呼ばれ、この五の神話内において登場する機会はないものの、全ての神々の頂点に立つとして、古事記・日本書紀の二つにおいても重要な存在として扱われている。

これらの神々が全て独神、つまり単一固体として、また性別を持たないある意味神としては完成された存在として確立されている。

神々の系譜等、血縁などの観点から諸説流れているが、今回それを全て説明して、どれが正しいのかということをしたいのではないので、今回はまだその中でもごく一般的なものに絞っていく。

さて、上記五神こと、五柱の神々を含め、後に世界の全てを形成していくことになる神々の原点であり、日本神話の頂点に位置している神々『一二柱神代七代』という存在が誕生する。

一二柱神代七代

根源神たる国常立尊を含めた三柱は男神とされているが、あるときを境に男と女の二人で一組の神が誕生することになる。

神々の一覧としてはこのとおりになる。

  1. 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
  2. 豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
  3. 宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
  4. 角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
  5. 意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
  6. 淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
  7. 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)

知らない人からすれば何だこれ、という反応でしかないだろうが、上記に挙げたこれらの神々が日本古来から言い伝えられているとされている。

ちなみに、古事記と日本書紀では神々の呼称というものに若干の違いがることをお気づきの方はいるだろうか。先ほどの項ではあるが、神の名前の接尾に『尊(みこと)』と書かれているのだが、これは間違いというわけではない。古事記では今の私達が使っているような『神』という言葉を使っているが、日本書紀では特に尊い存在の者に『尊』と付けて存在を崇めているのである。それ以外の神には『命』と、字違いの呼称をつけている。あくまで人が作った書物ではあるが、神々の中でも序列というものが存在しているということが暗にうかがえる。恐らくではあるが、人間社会で当然のようにある上下関係をそのまま用いているのだが、神々の場合は若干の用途の違いがあるものの、詳しいことは筆者にも分からないので、どうしてそうなっているのかということはまた別の機会にする。

ほとんど分からないといってもしょうがない、難しいと感じても仕方ないのだが、そんな人でも分かる一組の神々がある。

それは後に日本という大地を形成することになる『伊邪那岐神(いざなぎのかみ)』、『伊邪那美神(いざなみのかみ)』という男女一組で1つの神だ。

国産み・神産み

では次にそんなイザナギとイザナミの二柱が日本の大陸を作る話と、やがて二人が生み出すことになる今後の日本神話の中でも重要な神々が誕生する話を説明していこう。

古事記の中によると、イザナギとイザナミは別天津五柱たちに混沌となっている大地を完成させろとの命を受け、葦原中国(あしはらのなかつくに)という、高天原と黄泉の国の境にある大地、つまりは今現在ある我々が住んでいる日本国土のことを指している。

葦原中国に降り立った二人は天浮橋(あめのうきはし)に立ち五柱たちから預かった『天沼矛』を用いて、混沌とした大地をかき混ぜて、その時に矛の先から滴り落ちたものが積み重なって出来たのものが淤能碁呂島(おのごろじま)が完成したといわれている。

この時の天浮橋とされる場所は諸説あるが、そのままの名所として挙げられているのが兵庫県淡路島にあるとされている。確実とはいえないものの、兵庫県を舞台にして国産みが行われていたのではないのだろうかということと考えられていることが多い。

オノゴロ島にしても、兵庫県にある『沼島』と言われていたり、又はその近くにある島か、はたまた淡路島で行われた国産み説を否定するように、福岡で行われていたとこれも様々な憶測が考えられている。

さて、そんなイザナギとイザナミの二人はオノゴロ島に降り立ち、やがてここで二人は結婚をすることになる。

古事記の中に書かれているセリフを引用すると以下の通りだ。ここでは今の日本語で翻訳されている言葉で記載する。

イザナギ:「あなたの体はどのようにできていますか」

イザナミ:「私の体には、成長して、成長していないところが1ヶ所あります」

イザナギ:「私の体には、成長して、成長し過ぎたところが1ヶ所あります。そこで、この私の成長し過ぎたところで、あなたの成長していないところを刺して塞いで、国土を生みたいと思います。生むのはどうですか。」

そうして二人は交わることとなる。余談だが、成長しているところと成長していないところと言うのは、それぞれの性を表す体の局部を指している。

こうして大地が生まれるはずだったが、ちゃんとした子供が誕生しなかったのである。『水蛭子(ひるこ)』・『アシハマ』と呼ばれる不具の子の誕生は二人も予想外だったため、何がいけなかったのかと別天津神たちに相談することにした。

原因は、性交をするにあたり、イザナミから誘ったことが一番の原因であったと指摘される。問題が分かった二人はオノゴロ島へ戻り、早速イザナギから誘って再び体を1つにする。

そして誕生していく日本の国土たちだが、そんな国土が誕生した順番はこちらである。

  1. 淡路島
  2. 四国
  3. 隠岐島
  4. 九州
  5. 壱岐島
  6. 対馬
  7. 佐渡島
  8. 本州

以上の八島が最初に生成され、これらの日本の大陸を『大八島国(おやしまのくに)』と呼ばれている。

その後さらに二神は、6つの島を作り出す。

  1. 児島半島
  2. 小豆島
  3. 周防大島
  4. 姫島
  5. 五島列島
  6. 男女群島

以上計14つの島を作り出したイザナギとイザナミの二人だが、最初の二つの国となるはずだった水蛭子とアシハマ、水蛭子は葦舟で流してしまうなど、記述などではこの二つは数には加えないとしている。

悲しいことではあるが、国として成り立たなかった二人に対して、慈悲をかけることなく繁栄を進めるイザナギとイザナミはとてもではないが慈悲深いものとは感じられない。アシハマの行方は記述が書かれていないので、詳しいその後は分からない。

日本としての国土を作り出したイザナギたちは次に国をはぐくための神々を生み出す『神産み』へと段階を勧める。

この神産みで二神にひとつの転機が訪れる、それがイザナミの死という結果だ。

交わったときにイザナミが子を産み落とそうとしたときに、強烈な痛みと共に一人の神が誕生する。『火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)』、別名カグツチとも呼ばれているが、字の通り火の神が誕生したのである。

このカグツチを生み出すときに、イザナミは陰部をやけどしてしまい、それがたたって命を落としてしまうのであった。イザナミの死に悲しむイザナギはカグツチを殺してしてしまうのである。

そんなカグツチの死体から様々な神々が誕生するという話もあるが、今回はそこまで触れないで置こう。

さて、次に展開するのは黄泉の国へと向かい、イザナミを迎えに行こうとするイザナギの話になる。

黄泉の国、そして誕生

イザナミを失ったイザナギの苦しみは計り知れることなく、そんな彼はどうしてもイザナミを飽きられきれなかったため、取り戻そうとするため死者の国『黄泉の国』へと赴くことになる。

その後黄泉の国へとたどり着いたイザナギは、ようやくイザナミを見つけ、「国づくりは完成しない、だから共に帰ろう」と説得するのだが、既にイザナミは黄泉の国の食べ物を口にしてしまったために生き返ることが出来なくなっていたのだ。イザナギはなんとしてもつれて帰ろうと必死に説得して、それに対してイザナミは『黄泉神と相談しましょう、それから、私の姿は見ないようにしてください』と言って、黄泉の国に出来た自分の家へと入っていった。

中々戻ってこないイザナミを心配し、イザナギはそっと家の中を覗いてしまう。するとそこには体は腐って氏がたかり、声は咽び塞がっており、蛇の姿をした8柱の雷神がまとわりついていたのだ。

恐れおののいたイザナギは逃げようとするも、イザナミは自分の醜い姿を見られたことを恥じて、黄泉醜女(よもつしこめ)にイザナギを追わせた。

そこからイザナギと黄泉醜女との追いかけっこが始まり、イザナギは何とか振り切るも、さらに後から8柱の雷神と読みの軍団をさらに追撃へと向かわせる。

何とか命からがら黄泉の国の入り口となる黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本へとたどり着き、その入り口を千人がかりでなければ動かすことの出来ない大岩で塞いで、悪霊が出ないようにする。これがイザナギとイザナミの別れとなる。

その岩越しでイザナミは『私はこれから毎日、一日に千人殺してくれよう』と言い、対してイザナギは『では私は人間が決して滅びないように、一日に千五百人生ませよう』と宣言する。

このときよりイザナミは『黄泉津大神(よもつおほかみ)』とよばれるようになり、黄泉比良坂を塞いだ大岩のことを『道坂之大神(ちかへしのおほかみ)』と呼ばれることになる。

無事に黄泉の国から生還したイザナギは体を清めるために、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら;現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町)で禊を行う。

そこで禊をすることで、様々中身がその過程で誕生することになり、そして最後に、自身の両目と花を清めた後に誕生したのが、後に話で最もよく知られることになる三柱神が誕生する。

イザナギの左目を洗うことにより『天照大御神(あまてらすおほみかみ)が誕生し、片方の右目からは『月読命』が生まれ、鼻からは『建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)』、後のスサノオが誕生した。

イザナギは最後に三柱の貴い子を得たと喜び、姉の天照大御神に首飾りの玉の緒を渡して高天原を、月読命は夜の食国(よのをすくに)を、スサノオには海原の統治をそれぞれに委任することになった。

さて、ここまでで一般的に知られている可能性があるのは、やはり日本誕生となる国産みからの話がごく一般的なのではないだろうか。

その後の神々を生むことで最後にはイザナミが死に、そのイザナミを迎えにいったイザナギが変わり果てた姿の妻を見て恐れをなして逃げる話、そして黄泉の国から帰還したイザナギが体を禊することで、最後に日本神話の中で最も有名な神々の1つ、アマテラスとスサノオ、ツクヨミの三人の誕生ところからが一番よく知られていることだろう。

筆者個人はここまでの話でどれが気になると聞かれたら、やはりイザナギの逃走劇だろうか。せっかく迎えに行った妻が変わり果てた姿になっていると見て逃げる姿は何と滑稽な姿だと思う。

しかし、イザナギは事前にイザナミがどういう状況なのか理解して、なおそれでもと思って迎えていったのではとも思うのだが、もしそうでなければ何とも甘く見すぎていると感じてしまうのも無理ないかもしれない。

結局イザナギとイザナミはそのまま分かれることになるのだが、ここで気になるのがイザナミだ。彼女は後から黄泉の国に来たにも関わらず、その国にいた黄泉の国の軍団を動かせると言うのは、そういうことなのだろうか。それはひいて言うのならば、イザナミは来た時点で黄泉の国の人々より、遥かに強い力を備え持っており、必然とトップクラスの力を持っていたということなのだろう。

死者として落ちる前は国産みの神として崇められていたイザナミが、最後には人々を最悪の地へと貶める悪魔と化してしまうところを見る限り、あっけない最後だと思う。

だがイザナギが黄泉の国へと赴かなければアマテラス含めた三柱神は誕生しなかったかもしれないので、必然とした結末だったのだろう。人が作った話ではあるが、神話というのは本当に奥が深く、何度考えてみも飽きないものだ。